【新年の御挨拶】

 新年明けましておめでとうございます。

2019年がスタートしました。平成から新元号に変わる年。新しい時代の幕開けとなる一年です。「平成」という時代は インターネットの普及により世界が大きな変化を遂げた時代といえるでしょう。パソコンからタブレット、そしてスマートフォンへ。今やスマホは私達の生活必需品となり、世界中どこにいてもネットで繋がり、ビジネスシーンだけではなく、私達の生活に欠かすことができないアイテムとなりました。

 

 流行はいまや東京だけのものではありません。インターネットを介して、情報は全国を駆け巡ります。欲しい洋服をネットショッピングで、電車の中からでも買うことができるようになりました。共働きの家庭にはネットで食材を購入するだけではなく、夕飯のメニューも動画で簡単に決めることができる大変便利な時代です。さらには災害時にも必要不可欠なものとなっています。

 

 大きく変わったことの一つに「コミュニケーションの方法」があります。Social Networking Service  SNSは、私達の情報伝達方法を大きく変えました。新しいコミュニケーションツールとしてのSNSは、短い言葉、写真、さらには動画による「自分からの発信」により、コミュニティを構築できるのです。SNSにより、不特定多数の「お友達」が増えました。(その友達が本当の友達かどうかは別として)24時間いつでも、どこからでも情報発信をすることができるようになり、個人の発信だけではなく、企業や自治体、省庁、さらには首相をはじめ政治家も、このSNSを通じて情報発信をする時代となったのです。

 

 さて、2019年は、ますますインターネットを使った情報発信が加速する時代となるのではないでしょうか。溢れる情報の中で、私達は「真実」を見極め、「正しい」情報を選択していかなくてはなりません。誰もが「発信」できる時代だからこそ、セキュリティー含め、正しい選択をすることが大切だと思います。更には、情報弱者、デジタルデバイドの事も考えておく必要があります。消費税が上がり、ポイント還元などの際にスマホなどのコンピューターツールは必要不可欠です。また、世界は既にキャッシュレスとなっており、この波は、私達の国にも押し寄せて来ます。デジタルデバイド対策は必要な課題です。

 

  真咲映像財団が運営するインターネット放送局 SAKURATVは、媒体化構想(安心できる安全な情報を配信できるネット放送局構築)のもと、現在番組制作活動を進めております。今の時代だからこそできること、求められていることを放送媒体として正しく配信してまいります。2020年に迎える東京2020オリンピック・パラリンピックの応援プログラムに認定されている、「多言語ボランティア・インターネット世界放送局SAKURATV」は、日本の様々な情報を多言語で世界に発信してまいります。現在、この企画にご賛同していただく方々とのタイアップが進んでおります。今年2月には京都外国語大学様と多言語ニュース配信の正式な協定締結が行われます。

 

 「多言語発信」は大変重要なポイントです。AIが進むなか、自動翻訳システムの開発が急速に進んでいます。しかし、私どもは「人による多言語発信」にこだわります。コミュニケーションの方法が変わるなか、現代人は、人と対面し、自分の気持ちを話し言葉で伝えることが少なくなっています。スタンプや写真で自分の気持ちを表現する若者たち、短い単語の羅列で気持ちを表現する人達、手紙を書くことが少なくなった現代人、固定電話のかけ方や話し方を知らない世代の人達・・。下手でもいい。ゆっくりでもいい。「自分の言葉で人に伝える」ことの大切さ、楽しさを、若い学生の皆様に経験していただきたいと考えています。それが、コミュニケーション、そして「正しい放送」の原点なのでは、と考えるのです。

 

 さらにSAKURATVでは、地方の魅力発信、アーティスト紹介など、「頑張る人」の姿を紹介してまいります。多くの皆様のお力をお借りし、様々な案件が少しずつ軌道に乗り始めた2018年。2019年は、展開の一年にしてまいりたいと思います。「反省はするけれど、後悔はしない」これは長年私が心に留めている言葉です。歩んだ道を、選んだ道を、後悔することなく進みます。それは「私が」選んだ道ですから。

 

皆様、本年も真咲映像財団SAKURATVをどうそ宜しくお願い申し上げます。 平成31年 元旦 詩麻絢子


【現代の母親像とは】

 

「あたし おかあさんだから」という歌をご存知でしょうか。この歌が「炎上」しているそうです。タイトルからも想像できると思いますが、この歌は「お母さんになったから、子供のために洋服を買うことも遊びにいくこともオシャレをすることも我慢する。だって私はお母さんだから。愛する子供のために。」というような内容です。

 

「母」になった喜びに溢れた歌詞であり、子供を何よりも最優先にする「古風な母親像」を表現しています。この曲を聴くと誰もが「ああ、いい曲だ。お母さん、ありがとう。」と思うのではないでしょうか・・・。しかし「炎上」しているのです。「あたし おかあさんだけど」という反論が、ツイッターなどであふれているというのです。そして、その反論は当事者である母親達からだというのです。

 

・母になる前はハイヒールを履いてネイルもして、立派に働けると強がっていた

・今は爪を切り、走ることができる服を着てパートに行く

・おかあさんだから眠いまま朝5時に起きるの

・おかあさんだから大好きなおかずを子供にあげるの

・おかあさんだから自分のことよりあなたのことばかり考える

・おかあさんになる前は痩せていたの

・おかあさんになる前は好きなことして、好きなもの買っていた

・テレビも子供がみたいものを、苦手なお料理も頑張るの

・おかあさんになる前に戻れたら、ライブに行って自分のために洋服を買うの

 そして最後に

・それ全部やめて おかあさんになれてよかった・・・・

 

このような歌です。今歌詞をパソコンで打っていて・・・確かに少し重い感じがしますね。世の母親が反論しているのは「我慢」することが「良い母親」であり、「自分より子供」が当たり前であり、「おかあさん」は家族や子供のために尽くす存在であるというように聞こえてしまうからでしょう。

 

実際、この歌詞のようなお母さんがたくさんいらっしゃると思います。本当に頭が下がる思いです。子供が幼い時期は、この歌詞のような時代が私にもあったのかもしれません。確かに、子供が産まれて数年は、子供優先の時間が続きます。何もできないし、何も知らないのですから、子供は。しかし母親たった一人の育児の時間が、心身共に大変であること、悶々と悩む時間があること、それを表に出しにくい現実があるように感じます。

 

「育児は育自」

私は、この言葉に助けられたことが数多くあります。子供を産んだからといって、すぐには「お母さん」にはなれないのです。

それは「お父さん」だって同じですよね。子供を育てながら、自分自身も「母」へ、「父」へと育っていくのです。そしてそれは、けして「こうあるべき」、というものではないはずです。

 

今や多くの母親が出産後も働く時代です。家族の形は実に多様化しています。家族の在り方の過渡期なのかもしれません。結婚をしない若者が増えているといいます。また、結婚しても子供を持つことをためらう女性も多いと聞きます。子供を持つことで、何かをあきらめ、何かを我慢しなければならないと思うからでしょうか。もしそうなら・・・日本の将来を考えても何か対策が必要だと感じずにはいられません。

 

母親も自分の時間を大切にして良いのです。

仕事を続けることも

趣味を続けることも

遊ぶことも

オシャレをすることも

 

なんらかの事情で母親一人で育児をする「ワンオペ育児」に悩む方が多いといわれています。核家族化、就業体系の変化、少子化、あらゆる事情が以前と変わってきています。忙しい時には誰かを頼っても良いと思いますし、食事も手抜きの日があってもよいのです。外食だってしたいし、母親一人の時間を作ってもらうことも、息抜き時間も必要。お寝坊したい時もあるし、口紅の色を変えたくなる。新しいワンピースに身を包みたい。だって・・・お母さんも女ですからね。

 

こんなことを書きながら・・・私は今、娘が用意したケーキを「半分ちょうだい!」と言い、少しだけ多いほうを譲ってもらいました。今や、娘の方が「我慢」してくれることが多くなったように感じます。こんな私も「お母さん」なのです。育児真っ最中の若いお母さんたち!あっという間に過ぎてしまいます、「我慢」の時間なんて。その後に何がしたいか、何をするか、何ができるか、その時間を有意義にするための準備をしてほしいと思います。母親だからこそ備わるスキルが、たくさんあるはずですから。


【医師にこそ求められる コミュニケーション力】

 

今の時代にあっても、私達一般人は「医師」の前で、身を任せるしかないことが多いのではないでしょうか。インターネットが普及し私達も容易に自分の身体の状態や薬の効用など調べることができるようになりました。「お医者様」に任せるしかなかった情報が手に入り、セカンドオピニオンも、ネットで検索し広くその情報を手に入れることができるようになりました。それが正しいのか、正しくないのかは別として。それでもやはり、体調不良で最後に頼るのは「医師」なのです。そして診察椅子の前では、「何も言えない」「言ってもいいのだろうか」「これを言ったら先生気を悪くするかも」・・・とあれこれ考え巡らす患者が多いのではないでしょうか。

 

先日、患者の歯を不必要に削って損傷させたとして岡山県の53歳の歯科医師が逮捕されました。患者の男性は親知らずの治療のために歯科医院を訪れたそうです。その日が初診でした。複数回通院する中で違和感を持ち、別の歯科医の治療を受けたところ、不必要に歯を削られていたことが発覚したのです。この患者の男性は治療に約1か月必要になったそうです。しかし当の歯科医師は容疑を否認しているという事件です。

 

実は私、同様の経験があります。歯科だけは、相性もあり、どこを受診したらよいのか悩む方も多いのではないでしょうか。長年、肩首の凝りがひどく、噛み合わせの問題もあるのかもしれないと思い、近所の歯科医に相談に行きました。その先生はかつて某国立大学病院の指導医師でもあった方です。その肩書に、何の迷いもなく相談に行ったのです。高齢の先生で、昔の先生に多く見られるワンマンな印象を受けました。私の歯型を取り、「これは大変!」といきなり歯を削り始めました。何の説明や承諾も得ず。何をどうしたのか全くわからないまま、私の歯はかなり削られてしまいました。

そしてその後、全身に不調を感じ始めたのです。

 

数日後、朝目覚めて鏡の前であくびをすると、なんと顎がずれているのです!そして顎がずれて舌が上の歯にあたり、痛みがあるのです。さらに、食べものがうまく噛めない。噛めないので、誤嚥しそうになる。「歯」が全身に与える影響を強く感じました。驚いて歯科に行くと、「ああ、反対側も削らないとね。舌が痛いのは気のせい。精神的なものだ。」という対応!

 

口の中の違和感は、つらいものです。小さな口の中の1ミリの違いは、10センチくらいにも感じるものではないでしょうか。違和感を持つ「感覚」は個人差があります。しかし、違和感は違和感。 感覚の違和感は説明してもわかってもらえないことが多いものです。もうこの先生では何を言ってもわかってもらえないと判断し、別の歯科に行き、経緯を説明しました。「他に方法があったかもしれませんね。」同業の医師を擁護する言い回しだと感じましたが、その先生は私の話をじっくり聞いてくださり、その豊富な知識とお人柄、わかりやすい説明に信頼してお任せしようという気持ちになりました。その後長く治療に月日がかかりました。実は今も完全に良くはなっていません。歯は削ってしまったら元には戻りませんからね・・・。しかしその先生の豊富な経験と知識により、「歯」だけではなく、私自身の身体の癖や筋肉のバランス、ストレスなどが「歯」や「噛む筋肉」などに影響しているための症状であることが判明しました。

 

 

「医は仁術」と言います。近年の傾向として、医師を志す学生は増えているようです。幼い頃から親に言われて勉強をし、難関の医学部に入るために猛勉強する学生が大勢います。夢を実現するためには、人の数倍の努力が必要です。ただ、医師こそ、「普通の人」であってほしいと思うのは私だけでしょうか。幼い頃は少々の悪さをし、親や大人に叱られ、友達と喧嘩をし、謝ること、許すことを学ぶ。スポーツやクラブ活動で仲間と協力することを学ぶ。一生懸命努力をしたあとの達成感を得る。人を好きになる当たり前の感情も必要。よい恋愛からは多くのことを学びます。きちんと人の目を見て会話ができ、挨拶ができ、人の悲しみや苦しみをわかってあげられる。そして的確は言葉を選び、発することができる。そんな当たり前のコミュニケーションをとることができる人が、「良い先生」と呼ばれるのではないでしょうか。もちろん専門の知識は必要です。しかし、最後はどのような職業よりも「人間性」が問われるのが「医療従事者」ではないかと私は思うのです。その先生のところに行くだけで、なんだか気持ちが楽になる。病は気から・・・と言いますものね。「思いやり」という薬の効能はすごいのです!